ぼくは貴方に、手紙を書きたい

 仕舞ってあった便箋を引っ張りだし、万年筆で文字を書き連ねてゆく。最後に手紙を書いたのなんて、いったいどれくらい前のことだろう。こうやって筆を走らせてみてあらためて認識するのは、ぼくはやはり自分の字が好きではないということだ。決して汚くはないかもしれないが、感心するほど上手なわけでもない。自分の書いた文字を見るたびに、ぼくは自分の至らぬ点をまざまざと見せつけられているような気持ちになる。

 こうして書き重ねてきた手紙を、貴方がきっと読んでくれたであろうことをぼくは知っている。それだけがぼくの知り得た事実で、その手紙を読んで貴方がどんな感想を持ったのか、それは少しでも貴方の心を揺さぶるようなものだったのか、ぼくは知る由もない。どんなふうに貴方は手紙の封を開け、どこでそれらの言葉に目を通し、そのあとその手紙をどうしたのかを、ぼくは一切知らされることはない。これはとても個人的で、一方的な営みだ。

 手紙を書くことでぼくが学んだことのひとつが、文字だけで、文章だけで伝えられることなんてたかが知れているということだった。そこには必ず誤解があり、解釈の相違があり、そして一方的な感情の押し付けがあった。だが、文字は、言葉に形を与える。それはひどく不恰好で不細工な代物かもしれないが、ぼくが貴方に差出せる数少ないかたちのあるものだ。

 だから、ぼくはこうしてときどき、貴方に宛てた手紙を書くだろう。伝わらないかもしれないという自覚のもとに、必死に言葉を探すだろう。その不完全さの中に、自分という存在を投影しようと試みるだろう。もっとも原始的なやり方で、何かを伝えようとするのだ。そして、きっとそれは、ほとんどがうまく作用しないだろう。

 それでも、ぼくは貴方に、手紙を書きたいと思う。